MCのお話

 

 

MCというお仕事、私は好きです。

ナレーションとか司会とか・・。

といっても、もともと人前でしゃべることのできる人では

まったくありませんでした。

それどころか、ちっちゃいころ、学校で先生にあてられて

泣いたこともあるらしい。幼稚園の頃は、「今日は何回泣いた?」

と帰るたびに親に聞かれていたらしい。

ま、3月生まれなので、ちっちゃかったんです。

1番前とか、もう少しよくて3番目くらいがその頃の定位置でしたから。

そのわりには、なぜだか学級委員なども選ばれちゃったりする

よくわかんないコでした。

 

だから!司会したいな〜というのは、あんまりなくて、

ただ、見えないところで、声いれたりは

なんとなく好きかもって予感がしてたくらいかな。

 

最初に習いにいったとこは、生徒いっぱいいるんですよ〜。

いるんですけど、なぜだか途中、社長とのマンツーマン授業なんてのもあって、

こわかった〜。

よく泣かされてました。っていうか、勝手に泣いてました。

だって、こわいんですよ〜。

ほんと。せまってくるんですもの。

わいわい言われてるうちにわかんなくなってくるし。

今、思えば熱血なよい先生でしたけどね!

学生卒業するときに、FMとかでバイトしながら、

地方のFMとかどお?って言ってもらったのですけど、

必ず親の許可がいる・・ってことでした。

会社に勤めてる人ならば、会社やめるまで、お仕事くれないようなとこで、

まだ1回も話すお仕事したことなかった私は、

なぜだか涙にくれる親を押し切る強さもなく、

いったん就職することになったのでした。

 

でも、やっぱりいつのまにか、やることになっちゃいましたね。

 

はじめてのお仕事はキャラクターショーでした。

 

ひとつひとつのお仕事に、いろいろな思い出があって、

いろいろな出逢いがあります。

 

すご〜く好きだった、私らしいお仕事は、

京都の東寺でやったナレーションのお仕事でしょうか?

夜、2000人くらいのお客様、野外、シンセの音、踊る人、

そこへナレーション重ねてゆきます。

なんだかとっても、不思議な感じでした。

 

ほかに、これも京都でした。はるかかなた。

3時間耐久三輪車レース、というしろもの。

これはなんていうか、結果的におもしろかった。

S竹の漫才師さんと一緒に電車に揺られていったんです。

私もそこの人のように紹介されて。

今売り出し中の・・とか言われてたんじゃないかな。

私達3人と記念撮影なんてのもあったし。

で、3時間のあいだ、実況したり、レポートしたりするわけですが、

どうやってやろ?って3人で相談して、

最初は、私がメインに入って、あと2人がレポーターって形にしてみたけど、

なんかいまひとつやりにくいので、

1人、前に戻ってきてもらって、2人で進行、1人レポーター、でやりました。

このときの漫才師さん、1人は、奥様がTVでどのくらいお金がないかを訴えて

クイズやって賞金を得るというので、かなり高額賞金をゲットしたらしい。

人に訴えて、共感を得ることができるほどの状態だったらしい。

     ・けど、賭けよ!っていうから、3人で、どこのチームが勝つか賭けて

勝ったのは私でした。リッチじゃない漫才師さんからお金を巻き上げてしまった

という意味でも忘れられないお仕事ですね!

 

ほかに、ケーブルTVのお仕事なんてのもありました。

これはカメラマンさんと一緒に取材にいって、

インタビューとかして、原稿も自分で書くんです。

チャンバラトリオのどなたかの息子さんが一緒でした。

ただ!遠かった〜!

遠いとこ、いろいろいってますけど、

これって、地元の行事とか取材するので、夏だと、盆踊りとかついてくるんですよね。

けど、それ取材して、戻って、原稿書いてると、

私は家に帰れなくなってしまうのです。

京都で、さらにバスでかなりのってくようなとこだったから。

それで、結局、夜の分って、いろいろ取材しても、それを人にたくして、

原稿書いてもらわなきゃならない。

それがいやで・・。

やっぱり自分で聞いてきたことは自分で原稿にしたいですもん。

もうちょっと近ければ続けたかったお仕事でした。

 

ほかにもいろいろあります・・。

文楽劇場も思い出いっぱいですね。

そうだ〜。いっときよく雑誌にのっけていただいたことがありました。

そこの雑誌って1回のると、同じ会社の違う雑誌って感じで、何回か続くんですよ。

でも、取材してくださる方によって、勝手に書きたいように、最初からこう!って

決めて取材してくるような方もいて、それはいやでした。

もちろんちゃんと書いてくださる方もいらっしゃいましたけど。

 

あ、いやなこともありましたよ。もちろん。

ひとつ今思い出すのは、フォルクローレという民族音楽のバンドの

司会頼まれたとき。紹介してくださった方は、とってもいい人なんですけど、

音楽もよかったんですけど、そのバンドの人がね〜。

2人になると、せまってくる人がいたんです・・。

外人さんだけど、日本人の奥様がいらっしゃるのに、

踊ろうよ〜からはじまり・・もうそれはそれは。

いやだとはっきり言うんですけど。ほんと困りました。逃げるの苦労しました。

で、とにかく、その頼まれた回だけはなんとかやって、

その次は逃げました。

紹介してくれた方にちゃんと断る理由をいえればよかったんですけど、

言いにくくて、はっきり言えずじまいだったことは、

ちょっとばかり心残りなできごとでした。

でも、ほんとにいやだったんです〜。

少し前に、そこの方々、新聞にちょこっとのってて、

思いだしてしまいましたワ。

 

でも!これからも、細く長く続けていければよいな〜と思うお仕事です。

ひとつひとつ大事に向き合っていきたいお仕事です。

 

 

 

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